『化け物っ!』
  遠い記憶の中の声が 木霊する
  誰もが忌避するこの瞳

  「…ほら、これが君のみたがったものだよ」

  包帯が落ちれば息をのむ音

  鉛のような何かが
  心に沈んだ気がした


 −不信論者−


目の前に広がったのは見慣れた天井。
早鐘のように響く心臓と荒く乱れきった息。
衣服が張り付く程にかいた汗が気持ち悪い。

「…ゆ…め……か…」
夢を見ていたのだと、自分の様子から理解しつつ体を起こす。
錆びた歯車のように、心が重い。
だから自分の視界が広くなっていることにすぐに気づかなかった。
何気なく落とした目線の先には眼帯。
とっさに右目に手を当てれば、そこにはいつも身につけている物はない。

フラッシュバックする夢の風景。
背筋が凍るような感覚。

弾かれるように眼帯に手を伸ばし、急いで身につける。
身につけた事を確認した後で周りを見渡せば、そこには私以外誰もいなかった。
無意識の内に、溜め息をつく。


もう、あのように言われるのは、たくさんだ。




嫌な事が連続するのは因果なのか。
右目に違和感を感じる。
ちくちくするような、ごろごろするようなそれに顔をしかめつつ、洗面台へと向かうと、
後ろに人がいないことを確認しつつ、そっと自分の右目を覆う眼帯を取り去った。

露わになる己の瞳。
銀とも灰とも形容しにくい、存在のないような色。

私の右目は、この世に生を受けた時からこの様相をしていた。
人ならざる力がはたらいている事が一見しただけで解る瞳。
人々から奇異の視線を向けられ、畏怖と拒絶を集める瞳。
だからずっと眼帯で覆い、人の目に触れないようにしてきたのだ。

改めて人がいない事を確認して、鏡に顔を近づけて右目を覗きこむ。
よく目を凝らせば、涙腺付近の眼球部分に自分の睫が張り付いていた。
指で取るには少しばかり難しい。
ちり紙をねじって紙縒を作り、その先で張り付いた睫を取り去ろうと試してみる。

しかし何度試しても取れる気配はない。
おまけに瞬きを止めて、紙縒で目を何度も撫でるものだから、目の表面が乾燥して痛く、涙が滲む。
紙縒もその涙を吸いとる為に先が柔らかくなり、目を撫でることが容易ではなくなっていた。
三つ目の紙縒が駄目になったところで鏡から顔を離した瞬間、不自然に止まる自分の息。

自分の後ろ、斜めの位置。
いつからいたのかは解らないが、そこにマサムネがいた。


鏡に映った私の顔が、私の瞳が見えるであろう、その位置に。


それを意識した瞬間、私の手は右目を覆っていた。
「お、おはようマサムネ」
不自然に跳ねる心臓を無視して、平静を装う。
「……ああ、兄貴。おはよう」
何か言いたげなマサムネの横をすり抜けるようにして通ろうとすれば、マサムネに呼びかけられた。
「兄貴。目、何かあったのか?
 俺様で良ければ見るけど」


『あら、私は大丈夫よ。だから見せて?』
『…ばっ、化け物っ!!』


脳裏に蘇る、声。
「……大丈夫だ」
「でもよ、あんだけ熱心に鏡で覗きこんでたじゃねえか。
 何かあるんだろ?」

私を心配するマサムネの言葉は嬉しい。
だが、夢の光景に心が軋む。
「…本当に大丈夫だ、マサムネ」
言葉と視線でマサムネに訴え、私はその場を後にした。




結局一日中右目の不快感は取れず、何度か顔をしかめる羽目になった。
マサムネにこれ以上心配をかけないように、マサムネの前で不快感で顔をしかめないようにする事は忘れない。

マサムネと二人での夕食を終え、自室に引き上げる。
いつもはマサムネが出かけない限り二人でゆったりした時間を過ごすのだが、今日はそうもいかない。
文机の引き出しから手鏡を取り出し膝に置き、眼帯を取り去る。
そして手鏡を使い、再び右目を覗き込むと、朝と同じように眼球に睫が張り付いていた。
再び紙縒を作り、取り去る事に全力を傾ける。

だから私は、部屋の戸越しにかけられた声に気づかなかった。

紙縒に睫が引っかかり目から離れ、右目から不快感がなくなり、安堵した瞬間。
開けられた戸の先にマサムネがいた。
一瞬の事に反応が返せない私と、そんな私を見て驚きに目を見開くマサムネ。
そのマサムネの目が、夢の少女の目に、重なった。

反射的に右目を隠した私に対して、マサムネは一気に距離を詰める。
気づけば私の視界は天井とマサムネだけで占められていた。
背中に感じる硬さと畳の匂い、私の肩を押すマサムネの手の力から、押し倒された事に気づく。
「何を…っ……!」
行動の意味を問おうとした私の言葉は、それ以上紡げなかった。

眉間に皺を寄せて、目を細めて、口を引き結んで。
そこには泣きそうな、痛みに耐えているような表情のマサムネがいた。
「…兄貴にだって言いたくない事がある事くらい俺様にだってわかる。
 目の事は…、…今までの事があるから言いたくないと思ってんのもわかる。
 兄貴は俺様の兄貴だから…俺様に心配かけねえようにしようとすんのも解ってる。

 …けどよ、俺様だって兄貴を支えてえし、…守りてえんだ……!
 俺様が頼りないと思ってるかもしれねえけど…、それでも…。
 それでも、もっと…俺様を頼れよっ……!」

マサムネの言葉が響く。

マサムネがそう思っている事は何となく感じていた。
マサムネの気持ちを汲みたいと、ずっと思っていた。
けれど、過去が私にそうさせてはくれなかった。


まだ幽閉されていた頃、私の世話は年老いた女性が行っていた。
私と必要最低限の言葉しか交わさないその女性。
そんな女性が体調を崩したある期間、女性の孫だという私と年の変わらない娘が代わりをしていた。
右目を隠すように包帯を巻き、幽閉された中で暮らす私を興味深げ―好奇に満ちた瞳で彼女は見ていた。
女性の体調が良くなり始め、彼女が私の元へ来る日が少なくなっていったある日、彼女は言った。

『ねえ、どうしていつも目を隠しているの?』
『…私の目は、人とは違うから』
『そう。…その包帯、外して見せてよ』
『…君も怖がるだろうから、嫌だ』
『あら、私は大丈夫よ。だから見せて?』
『………本当に?』
『ええ』

今思えば、私が軽率だったのだろう。
だがその当時は自分を受け入れてくれる人を欲していた。
今のように諦めていなかった。
だから私は彼女の『大丈夫』という言葉を信じて、包帯をゆっくりと外した。

『…ほら、これが君の見たがったものだよ』
その言葉と共に包帯が落ちる。
包帯が落ちれば、彼女の息をのむ音。
彼女の顔は真っ青で、言ったのは一言。
『…ばっ、化け物っ!!』

人を、信じたかった。
大丈夫だと、目の事を忌避しない人がいると信じたかった。
…信じて、いたかった。

次の日から彼女は私の元に来なくなった。
常に私の世話をしていた女性が復帰するまで、また他の人が私の世話の為に私の元を訪れた。
私の存在が気になるのか、その人は私に何度か話しかけた。
けれど私はその言葉に沈黙を返した。
右目を覆う包帯は二重にかけた。

もう、望まなかった。傷つきたくなかった。
ほんの一縷の希望を望む己の心の声は無視した。
誰も自分を好きはしないのだ、恐れる者しかいないのだ、と。
いつのまにか、そう思うのが当たり前になった。

だからこそ、マサムネに右目を見せるのが怖かった。
心から欲するその存在に、あの日彼女が見せた瞳で見られるのかもしれないと思うとぞっとした。
だから、マサムネには右目に関する事を何も言えなかった。



けれど、逆に私の態度、告げない事がマサムネを傷つけた。
マサムネの口からこぼれ落ちる言葉、表情。
マサムネにそんな事を言わせたのが辛くて、そんな表情をさせたのが苦しくて。

心が、痛い。



マサムネの告白に何も言えない私をマサムネが抱き起こし、その指が私の眦を拭った。
そうされて初めて自分が泣いていることに気づく。
「すま…ない…、マサムネ…」
意識せずに自分からこぼれた言葉を聞いたマサムネが抱き寄せた私の背を撫でながら言う。
「いいぜ、気にするなよ。
 …いつも俺様の方が支えられてんだし」
「………っ…く……」
優しい言葉をくれるマサムネに言葉を返そうと思っても、自分の唇からこぼれたのは嗚咽だけ。
涙もひたすら流れ続ける。
そんな私を、マサムネは落ち着くまで抱きしめていた。



  過去の光景は 未だ色褪せることはない
  私を常に 苛み続ける

  けれど そんな痛みが
  少しずつ癒されるのを 感じたんだ





 <あとがき>
真面目に絵を描こうと思って描いた白ムネさんの絵の横に書いたSSがきっかけで、この話は生まれました。
冒頭のがそれです。ちなみに描いた絵は現在のツイッターのアイコンになってます(笑)
さらに、「…もっと…俺様を頼れよっ…!」と泣きそうな顔で迫るマサムネを受信して、こうなりました。
遅筆なのは相変わらずです;
タイトルが指しているのは白ムネさん。信じたいけど信じれない。

恋人だから頼れるのか、逆に心配をかけたくないのかは人それぞれだと思うんです。
でも相手からしたら、自分を頼ってくれないのは寂しいような。
これは友人間でも言える事ですよね。
とりあえず白ムネさんは頼ればいいと思うよ。

マサムネ視点のおまけがあったりするので、よかったらどうぞ^^